言葉の先に広がる見たことのない世界へ。
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幸福は永遠に女だけのものだ
身だしなみを整えるべく、鏡に向かっていても、
真の自分の姿は真逆なのだ、と気付くこと。

木をよく観察していると、木は葉や幹の色だけで構成されているわけではなく、
むしろそれらの作り出す影の色が多いのだということに気付くこと。

この本はそんな発見に似ている。
正しいと思っていたことが、実は真逆であること。
光のみに目を向けるのではなく、光と影のコントラストを楽しみ、
影の、陰ながらの美しさに耽溺すること。

ことごとく物事の本質をついていている。
影の色がより色濃く、より美しく、目に映りはじめる一冊。
澁澤龍彦 comments(2) trackbacks(0)
とるにたらないものもの
身の回りにあるものについての、エッセイ。
「小さな鞄」「旅行鞄」が好き。

鞄の中に入れるもの、殊に旅行鞄に入れるものは、
厳選されたもので、生きて行く上で最低限のもの。

大学生になって旅行鞄を頻繁に使うようになり、
慣れて行くうちに、段々と荷物が減っていくことに気付いた。

今は、この身体があればなんとかなる、と思えるようになった。
鞄ももしかすると要らないかもしれない。鞄自体がお荷物だ。

何も持っていない、自由と不安。
何も持っていないから、自由に動ける。
何も持っていないから、何かを必要とする。

鞄の中身が少ない程、強くなれる気がする。
江國香織 comments(0) trackbacks(0)
ホテルカクタス
一人でためこんだことばを
ともだちにこぼしてみると
新しい道がきりひらかれた
一人では見つけられない道

一人できいていたおんがくを
ともだちといっしょにきくと
てれはずかしくなってしまう
心をあけさらしているみたい

(この本みたくひらがなを多用してみた)

ひと・・・じゃなくて、ものの交わるドラマ。
個性の凹凸がハマり合う、温かな充足感。

挿絵の、手すりの模様がスキ。  
江國香織 comments(0) trackbacks(0)
フローラ逍遥
美しい花を見過ごして生きてしまった。
花はあった。見たことがある。花は綺麗だとも知っている。
庭に咲いていた、学校の花壇にあった、花瓶に飾ってあった。
花屋さんに溢れるようにある、花束だってもらったことがある。

だが、美しい花を見たことは無い。
「花は美しい」という観念が知識として自分の中に埋まっていたせいだ。
そんなこと知ってるよ、と言わんばかりに、私は美しい花を見過ごしていた。

この本は、著者が言うように観念の世界で作り出されている。
書物や音楽、彼の記憶に起草を得ている。
にも関わらず、ここに描き出される花は現実のもののように、
否それ以上に美しくリアルだ。

私は美しい花以上に美しいものを見てしまった気がした。
澁澤龍彦のイメージの中に咲く花を。
現実よりも美しい。そんなことが有り得るのだろうか。
有り得るとするならば、それこそが創造物の極地、最高の藝術美、理想郷である。
澁澤龍彦 comments(0) trackbacks(0)
陰翳礼賛
この一年で感覚的に合わなくなったものがある。
ずっとわたしを照らし続けていた「蛍光灯」である。
もう耐えられないと思っていると、壊れてしまった。
偶然かもしれないけど、ものにも気持ちは伝わるのだろう。

いつしか、蛍光灯の下にいると、目がくらくらするようになった。
眩しすぎる、色んなものがくっきりと目に映り過ぎてしまう。

いまは、間接照明と手元を照らす明かりがあれば事足りる。
目が慣れれば、多少暗くても暗いとは感じなくなるものだ。

***

日のあたる部分よりも、あたらない部分に魅力を感じる。
陰翳礼賛。 影の、その静かな美の存在感に吸い寄せられる。
そこに自分の日本人らしさを見出す。影ありきの、日本の文化と美意識。

「西洋をそのまま取り入れるから、日本は損をする。」 
なるほど、と思った。「損をする」という言い方がいい。

双方に優劣があるのではなく、ただ性質が違うだけなのだ。
性質が違うものを取り入れるから、無理が生じるのだ。 

谷崎潤一郎 comments(0) trackbacks(0)
読書について
わたしは今でこそ本を読むようになったけれど、実はここ半年のことに過ぎない。
本には親しみをもたずに生きてきた。
避けるつもりもなければ、必要と感じることもなかった。
小さな文字を辛抱強くじっと読み続けるなど狂気の沙汰である。
そんなことをするなら、わたしは寝ていたい。

大学に入り、いつしか周りには読書家ばかりが集まるようになった。
親しい人はみんな口を揃えて、君は本を読むべきだ、と言う。
それでも、なかなか本を読む気にはならなかった。

ある日の午後、本当に気まぐれで図書館へ行った。
どの作家がいいとも分からなかったから、
友達が私に合いそうだとすすめてくれた森茉莉の本を探すことにした。
多くの人に読みこまれ、すこし黄ばんだ本がひしめく中に、
妖艶なオーラの漂う分厚い一冊の本を見つける。
それは500ページにも及ぶ長編小説であった。

最初読むにしてはハードルが高いかも、と思ったけれど、
1ページ目を開くと、ぐいぐい吸い寄せられるような感覚に陥った。
その独特の世界観にはまり込み、2、3日で読み終わった。

案外本って読めるものなのかもしれない、と思い、
それ以来、本をよく読むようになった。

***

本を読んでいて、思うことは、
意外にも真新しい発見なんてものは転がっていないことだ。
いつも、感じていたことを再確認しているような感覚に陥る。
(小説などの世界観、ストーリー性、言葉の多様性は抜きにして)

普段思っていたこと、こうかなあ、と感じていたことが、
文筆家たちの柔軟な言葉で描かれている。
自分の中にあった綿のようにふわふわとしていたものが、
もう少し手応えのある、確かなものになっていく。

本を読み始めて、わたしは結局何も変わっていない気がした。
世界が広がるというよりは、ただ元の自分が強められ深められるだけだ。
ああそうか、だから本を読めと言われていたのか、と気付く。
わたしは本が大好きになった。
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すきまのおともだちたち
おんなのこは、おんなのこらしく、お酒も飲めないし、 
色んなことを知っていてもやったことはない。
「だって、あたしはおんなのこなのよ」

お皿は「どうしてじっとしているの?」ときかれても
お皿らしくじっとしているのが、お皿なのだ。 

「そりゃあ世の中にはいろいろいるわ――
 でもね、女の子がお母さんになったり、おじいさんが中年の婦人になったりしたら、
 おかしいでしょう?猫がカエルになったり、カエルが猫になったりしたら、
 わけがわからなくなっちゃう」 

名前をつけ、意味をもたせるという行為は、 存在の不安からくるものだ。
「世界は確固たるものでなきゃあ」
確固たるものには、安心できるから。
でも世界はそんな風にはできていない。

わたしは常に流動の中にいる。
よくもわるくも、時間の流れとともに変わっていく。
わたしの周りにも、何一つ確固たるものなんて転がっていない。
生まれる、変わる、壊れる、死ぬ 、、

時々、すきまのおともだちたちに会いにいく。 
そこには確固たるものがある、安心だ。

なのに、移ろいゆく現実がすぐに恋しくなる。

***

作家は、存在の不安に敏感な生き物だ。
無常で不安(定)なものだ、人も、人を取り囲むものも。 
でも、本の中にある世界は作家にとって確固たるものに近い。 
ものを作るのは、それを存在させたいからだ。
どこかに存在の不安があるから、作ろうと思えるのだ。 
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言葉の先に


 
言葉を紡ぎ出していると、ふしぎなことが起きる。
いつも言葉の先に、見たこともない世界が広がっているのだ。
そこに行きつくことが、言葉の醍醐味である。
日々の記録ではない、感情表現でもない。これは創造行為だ。

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